何のために人は生きるのか – 悩める大学院生へ向けて

こんにちは。ざわかける!のざわ(@zw_kakeru)です。
先日、私の周りに進路に悩む大学院生が出現しました。
その人は現在就活を終えて来年の4月から大手企業に就職することが決まっています。
しかし、主に精神的な面で大学院生活がとても辛く、このまま来年の3月までやっていける気がしないとのことでした。
話を聞いてみると、研究をしても多少自分が賢くなるだけでそれ以上に意味は無く、そんなことを考えながら毎日を過ごしていくのがしんどいということでした。

その悩みを直接解決できる方法なんて私は知りませんが、いい機会なので今回はこの場を借りて少し昔話をしようと思います。
これを読んで何か得るものがあったり、視野が広がったりしてもらえる人がいたらとても嬉しいです。

「あなたはなぜ生きているのですか?」
「あなたは何のために生きているのですか?」
「あなたの生きる意味は何ですか?」

約3年ほど前、この質問をいろいろな人に対して投げかけていた時期が私にはありました。

私はその時は大学院に在学しており、研究をしながら就活もして、時々部活をして、といった日々を過ごしていました。
そして大学院というのは(私の場合は)想像よりもかなり精神的にキツい場所でした。
外から見ると大学院生というのは学生の期間が延長されて、研究が忙しいとは言っても大した責任もなく気楽で良さそうなものです。
しかし実際は、何の責任も無いが故に自分自身の存在意義が分からなくなるのです。

自分自身が賢くなるための勉強しかしておらず、それ自体は全く社会の役に立っていない。
もう十分に働ける年齢なのに、同級生が大学を卒業して既に働き出しているのに、自分は何も生み出していない。
研究はするけれどすぐに成果が出るものでもないし、その間は誰からも評価されない。
(所属していた研究室も「やる人を伸ばす」方針だったので、研究しなくても別に怒られませんでした。)
そんな環境の中で2年ほど過ごしていた私は、自分という人間の存在意義を完全に見失っていました。

なぜ私は生きているのだろう。
なぜ皆生きているのだろう。

おそらく暇だったのでしょう。
暇だからこんなことを考えるのです。それは当時から気づいていました。
だから当時から早く働きたいと思っていましたが、大学院生である以上少なくともあと1年はここで研究する必要がありますし、その間に自分の思考を止められるわけでもありません。
助けてくれる人もいなくて、本当に「自分がこの世にまるで必要とされていない存在」であるかのように感じられました。

別に死にたかったわけではありません。そんな勇気は最初からありませんし、あったとしても死ぬのは嫌です。
でも、果たして人が生きている意味なんてあるのかな。多分ないんだろうな。そう思っていました。
皆はなぜ生きているのか、何のために生きているのか。本当に分からなかった。

私は様々な場面で、様々な人にこの問いを投げかけました。
ある時は先輩と飲みに行った場で。ある時は地元の友達と久しぶりに電話した時に。
そしてそれに対する解答は人によって様々でした。
「幸せになるため」とか「子孫を残すため」とか。
「死ぬために生きてる」という人もいましたが、どれも私にはしっくりきませんでした。
結局この悩みは大学院を卒業するまで消えることはありませんでした。

そして就職してから。
私が働き始めてまず初めに抱いた感想は「社会人は何て楽なんだろう」というものでした。
自分がやらなければならないことを一緒に手伝ってくれる人がいて、自分の行動が評価されて対価が支払われる。
それだけで社会の一部を担っている実感が湧く。こんなに簡単なことはありません。

私の今までの人生を振り返ってみても、あの2年間が一番辛かったという結論が出ます。
が、色々しんどかったけれど、大学院には行ってよかったなとも思っています。
学術的な能力が飛躍的に上がったというのはもちろんのこと、あの場所で2年間を過ごしたことで人間的にとても成長することができました。
そして自己を見つめ直すとても良い機会になりました。おそらく今後の人生でここまでしっかりと自分と対話できるタイミングは無いでしょう。
(あったとしてもその頃には人生の可能性はかなり狭まっていることかと思います。)
なので、まあ辛いのは大変分かりますが、少なくとも私はそんなあなたを応援しています。

そして最初の問いかけについて。
今度は自分自身で答えてみようと思います。

「あなたは何のために生きているのですか?」

色々な人にこの質問の答えを聞き、一年以上毎日考え続けた私がたどり着いた結論はこれです。

「人が生きる意味なんて無いけれど、そんなことを考える事こそ意味が無い」。

今のところ、3年前のように色々と考えて迷走することなく来れていますが、いつまたこのようにメンタルが沈むかは分かりません。
結局、解決策は分からないままでしたので。
でも少なくとも、あなたと同じような悩みを持って歩んでいる人はたくさんいますし、今この文章を読んでくれてただけで、私の過去を知ってくれた人がいるというだけで私自身報われた気分になります。
こんなこと、思ってもみなかったことだよね。人の役に立つっていつ起きるのか分からないものだよ。
諦めないでほしいな。



余談。
博士後期課程を修了した人のことを世界共通で「Ph.D(ピーエイチディー)」と呼びますね。
このPh.Dは正式には「Doctor of Philosophy」と呼ばれます。
「Philosophy」、すなわち「哲学」ですね。
別に哲学科の博士号を取った人がそう呼ばれるわけではなく、どの分野であっても博士号を取ればみんなPh.Dです。
長い研究期間を通じて徹底的に自己と向き合う必要があり、迷いながらにも何か確かなものを掴み取る。まさに哲学です。
私は博士前期課程の2年間で卒業しましたが、Ph.Dの称号は博士後期課程の3年間も修了しないともらうことができません。
後期課程は前期課程よりも(学術的にも精神的にも)さらに辛く、険しい道のりです。
それを修了した人が「Philosophy」の称号を得ることができる理由が、私も前期課程を通じて少しだけ分かりました。
Ph.Dを持っている人は本当に尊敬します。

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