他人の人生を生きている君たちへ ~ 偏差値が低い人ほど将来について考えている ~

人生

こんにちは。ざわかける!のざわ(@zw_kakeru)です。

世間一般的に見て良い大学を出ている、高学歴の皆さんにお尋ねします。
例えば、高校三年生で進路を決めたとき。
「卒業してすぐに働く」「専門学校に行く」という選択肢があることを考えましたか?

とある大学の水泳部を見て思ったこと

先日、私は用事があってとある私立体育大学の屋内プールに行きました。
その大学にある水泳部は男女ともに日本全国からスポーツ推薦で選手を集めている超強豪校で、過去にプロの選手やオリンピック選手を数え切れないほど輩出しています。
今の現役学生の中にも高校時代のインターハイ優勝経験者や国体優勝経験者がわんさといます。
そんな水泳部で、コーチが選手たちを叱責していました。
「君たちは何で今ここにいるんだ!!もっと上手くなりたいと思っているからだろ!!」と。
曰く、君たち選手にはそれぞれインカレに出たい、もっと良いタイムを出したいなど何かしら目標があると思っている。
それなのに、単に練習に来て時間が来たら帰る人、決められた練習メニューを淡々とこなすだけの人、もっとできるはずなのに守りの練習しかしない人がたくさんいる。
なぜもっと貪欲にならないのかと。そのことが気になったようです。
コーチの言葉に対して選手は全員俯いたままでした。

私は横でこれを聞いて思ったんですよね。
おそらく彼らは目標や向上心と思ってここにいるわけではないのだと。

彼らが今ここにいるのは、高校生の時に水泳で結果を出したからです。
高校生の時、と書きましたが実際は小学校低学年の頃から水泳をやっている人ばかりです。そうでないとインターハイで結果を残す選手になんてなれませんから。
そして彼らは小さい頃から「速い速い」と褒められて育ってきた。
すると最初は泳ぐのが楽しくて水泳をやっていたのが、いつの間にか(長い時間をかけて)褒められるのが嬉しいから水泳をやっているに変わってしまったんです。
「褒められる、評価される」ことをやり続けていたらいつの間にかここまで来てしまった。
そんな選手が数多くいるのです。
褒められると楽しいし、それだけ自分が上手いということですから身体を動かしていて気持ちいいものでしょう。

そして大学生になって社会人が目前になってきた彼らは、ようやく「水泳が上手くても、今後の人生を生きていくことはできない」と気づいてしまったんですね。
別にこれ以上速くなって部のエースになっても、全国大会で優勝しても、別にその先に未来は無いのです。
泳ぐのが速いからという理由で就活に有利になることはありませんし、そもそも職場で役に立ちません。
なら一体何で自分は水泳をやっているのだろうか。そんなことを考えながら練習に身が入るわけがありません。
しかしだからと言って今さら水泳を辞めるわけにはいきません。
ずっと続けてきた水泳を突然辞めてどうやって生きていけば良いのか分からないのです。
なんて言うとちょっと大袈裟なですが、少なくとも「今の自分から水泳を取ったら何も残らない」ということは分かっているのです。
そんなこんなで未来は無いのに身動きも取れず、ただ目の前の練習を何も考えずにこなして一日を終えていくようになっちゃったんだろうなあと。
私は横で見ていてぼんやりと感じました。

高偏差値の大学に入った皆さんへ

さて、話題を戻します。
高学歴の皆さん、いい大学を卒業した過去を持っている皆さん。
自分が高校三年生だった時のことを思い出して下さい。

高校三年生というのは、自分の進路を決める大事な時期です。
誰もが自分の将来について真剣に考え、自分が何の職業に就くのか悩み、そこに少しでも近づけるような進路を選択します。
看護師になりたいと思った人は看護の専門学校に行き、美容師になりたいと思った人は美容師の専門学校に行きます。
そんな中であなた達は、高校三年生の時に「卒業後すぐに働く選択肢もある。でも私が将来やりたいことは◯◯だ。だから私はその夢に近づけるようにこの大学のこの学部へ行こう。」と考えたでしょうか。
おそらく多くの人が、自分が将来何の職業に就くのかほとんど何も考えずに大学に進学しましたよね。
それはなぜですか。

理由は、勉強ができたから。

なぜその大学を選んだのですか。

人によって様々でしょうが、その理由は、偏差値が高かったから。

私は大学生の時に教職課程を履修していて自分の大学以外の学生たちと交流する機会が度々ありました。
いわゆる高学歴と呼ばれる大学に通っている学生たちに「なぜこの大学に進学したのですか?」と聞くと「偏差値が高かったから」「自分の偏差値的にここが受かりそうだったから」と答えるのです。
これは偏差値が高ければ高いほどそう答える人が増えます。
それは彼らが高校生の時、あるいは小学生の頃からずっと、「勉強ができる」という点を褒められて育ったからです。
人間褒められると嬉しいもので、もっと褒められたい、もっと期待に答えたいと思ってしまうものです。
彼らの場合は水泳で、あなた達の場合は勉強だった。それだけの違いです。
(まあ勉強は水泳と違ってつぶしが効くのでだいぶ生きやすくはありますけど。)
人間誰しも承認欲求というものを持っているので、ある種逃れることはできません。
その結果あなた達は「偏差値が高い大学に入る」というところまで辿り着いたのです。
おめでとう。
でもそこから先はどうするのでしょうか。

他人の人生を生きてる人たちへ

あなたがその大学のその学部に入ってまでやりたかったことは何ですか。
浪人した人、浪人してまでその大学に入りたかった理由は何ですか。
と問いかけた時に答えられない。
だってそこに入った理由は、偏差値の高い大学に受かると周りの人が褒めてくれるからなんですから。
「〇◯大学に入ったんだ、さすがだね!」と言ってもらえるからなんですから。
そして偏差値の低い大学に入って「あいつは実は勉強ができないやつだった」と周りに言われるのが嫌だったからなんですから。
こんな理由じゃ胸を張って答えられませんよね。

(補足しておきますと、これは高校の進路指導方針にも影響されていると思います。
進学校の進路指導は基本的に偏差値を重視します。
「あなたの偏差値ならこの大学は受かるでしょう。」
「〇〇大学に行きたいのなら、〇〇学部なら可能性はあります。」
そうやって勉強ができるところだけを評価して、本人のやりたいことを真剣に考えさせなかったらこうなりますよね。)

大学に入ってしまうと、全員一律に同じ勉強をするということがなくなります。
すると、どんなに勉強しても誰も褒めてくれません。
あるいは自分の凄さを理解してもらえません。
大学で何か熱中できること(遊び、バイトを除いて)を見つけられた人はまだマシですがそうでもない人であれば、昔の友達に会って「〇〇大学に通ってるんだ、すごいねー」と言ってもらうときだけ楽しい。
大学の勉強は自分の関心とは無関係に選んでいるので(よっぽど運がよくない限り)興味がある分野ではない。
すると授業に出るのが苦痛で勉強をやめてしまう。

そしてこれを就職した後まで引きずってしまうとどうなるか。
友達に就職先を伝えた時に「そんな超大手企業に入ったんだ!すごいね!」と言われたいがために会社を選ぶことになります。
こうなると完全に他人の人生を生きていますね。でも残念ながらこういう人はたくさんいます。
誰もが知ってる大手企業に勤めていて、久々に再開した友人と会った時に羨ましがられることだけが人生の楽しみであるという人。
日々の業務は全然楽しくもないし興味もないという人。
あなたは一体何がしたいんですか。

高校生の時に真剣に進路を考えなかった人たちへ

そう考えるとむしろ、偏差値の低い人たちほど自分の将来について真剣に考えているものなのです。
だって勉強ができないせいで、そのことで褒められることがないのですから。
チヤホヤされて適当に大学に進むということをしないんですから。
自分の将来をきちんと考えて自分が行けるところに行く、何ならそのまま働くことにする。
高校三年生の時点で考えざるを得ないわけですね。

基本的に将来について大して考えず偏差値だけで大学を選んだ人は、勉強だけが取り柄なのです。
そして大学生になって勉強すらやめてしまったら、果たしてその人には一体何が残るのでしょうか。
「大学生になっても自分のやりたいことが分からない」というのは本来おかしなことなのです。
なぜならその進路の先にあなたがやりたいことが待っているはずだからです。
大学というのは学部によって勉強する内容が全く違います。
そのため本来であれば、自分の将来の夢に最も近づくことができる学部、学科を選ばなければなりません。
しかし、周りに褒められるがままに自分が入れる中で一番偏差値が高い大学の適当な学部を選んだ人たちは、その先に自分の夢が無いどころか、そもそも自分が将来何をしたいのかも分かっていません。
対して何も考えずに偏差値だけで選ぶから、入ってから「勉強が面白くない」と言い始めるのです。

もちろん、大学に入ってから自分の思い描いていたようには勉強が面白くないことだってあるでしょう。
しかし、この「面白くない」は「想像していたのと違う」という意味であって、決して「適当に入ってみたら面白くなかった」というものであってはなりません。

こうならないために、高校生の時に真剣に進路について悩み、自分が一番就きたい仕事を一つ選んで「ここに向かって進むぞ」というのを決めておかなければならなかったのです。
高校生の知識なんてたかが知れていますがそれでも、自分が知っている範囲内でいいから、自分が将来一番叶えたい夢は何なのか、ブレない軸として一つ持っておくことがとても大切なのです。
高校生は勉強に部活にとても忙しいですが、そんな中でも時間を取って考えなければならないんじゃないかなあと思ったりします。
そしてその中で、「その夢に向かっていける場所の中で」一番偏差値が高いところ、あるいは頑張れば何とか手が届きそうな大学、学部を目指せばいいわけです。
もちろんそこまで考えていても、前述のように実際には面白くなかったり、あるいは大学に入ってもっと面白い分野に出会って自分のやりたいことが変わることだって珍しくはありません。
そのような状況に何の不思議もありません。
その場合に方向転換をする場合でも、自分の軸をちゃんと持っているかどうかによって行動の速さや、何より自分の納得感が全く違うものとなるです。

おわりに

人生やり直しはいくらでも利きますが、「やり直す」というのはどこかで必ず後戻りをすることになります。
事前に自分の将来について真剣に考えて考え抜いてから道を選んでおけば、そもそも後戻りをする必要はありません。する必要のない苦労をしなくていいのですからそれが最もいいのは明らかですよね。
すでに高校で進路について真剣に考える時期を逃してしまった皆さんにとってその後戻りというのが在学中の転学部なのか、就職後の転職なのかは分かりませんけれど、そもそもその後戻りをしないように今この時点でしっかり自分の将来について考えておかなければならないのです。
まあそれに気づいた時に後戻りをするという選択ができる人は強いです。そういう人は問題ないのですが、思っていても何やかんやそのような行動に移れないタイプの人は、「給料のためだけに、やりたくもない仕事を何十年もやる」ことになります。
仕事というのは別にやりたくないことをやってお金をもらうことではありません。
仕事としてやりたいことをやってお金を貰えばそれでいいではないですか。
そしてその「やりたいこと」が無いくせに、「この仕事はやりたくない」とぐちぐち言うのは本当に格好が悪いですね。

以上、過去の自分に対して言いたいことでした。

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